司馬遼太郎さんの生誕100周年時のアンケートで「好きな司馬作品」1位に選ばれたのがこの「坂の上の雲」です。
私、司馬さんの主な長編を描かれた舞台順に「空海の風景」から読んできたので、この作品にたどり着くまでずいぶん時間がかかりました。
2024年秋には、NHKドラマの再放送も始まり、何度目かの?リバイバルを迎えている「坂の上の雲」人気。この記事では第1巻の読みどころや司馬さんの歴史レッスンからの学びを書いていきます。
なぜ主人公が秋山兄弟&正岡子規なのか?→
「大好きな正岡子規と、秋山真之が同級生だと気づいた」ことが出発点
読み始めるまでずっとギモンだったのが、なぜ日露戦争期の日本を描くにあたっての主人公が、秋山好古(陸軍)、秋山真之(海軍)の兄弟と、俳人の正岡子規なんだろう、ということでした。
もっと著名な軍人や政治家はいくらでもいるのに…
ハードカバー版1巻の「あとがき」に、着想のきっかけが書かれていました。
司馬さんは長く、正岡子規に関心を持っていたそう。こんなくだりがあります。
ある年の夏、かれ(正岡子規)がうまれた伊予松山のかつての士族町をあるいていたとき、子規と秋山真之が小学校から大学予備門まで同じコースを歩いた仲間であったことに気づき、ただ子規好きのあまりしらべてみる気になった。小説にかくつもりはなかった。
秋山真之は、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った奇跡的な勝利を演出した海軍参謀。
その兄、秋山好古は同じく日露戦争で、世界最強とうたわれたロシアのコサック騎兵団を打ち破った「日本騎兵の父」。
子規への興味から、日露戦争を奇跡的な勝利に導いた(その後、戦後交渉の失敗で勝利の果実は吹き飛んでしまうわけですが)伊予松山出身の秋山兄弟の歩みへと司馬さんの興味が広がっていった、ということが書かれています.
なぜ、「坂の上の雲」は人気があるのか?→
明治期の「明るい前途を信じられた時代の高揚感」がワクワクさせるから
なぜ、「坂の上の雲」はこんなにも人気があるのでしょう?
これも、読み始める前にずっと感じていた疑問でした。
1巻を読み終わった時点で、その答えが少しわかった気がしました。
江戸時代は、厳格な身分社会でした。足軽の子は足軽。百姓の子は百姓。
明治政府は後世から見ると「官」が民を抑圧する強権的な社会ではありましたが、少なくとも、
「平民の子でも刻苦勉励すれば立身できる」
という点が前時代とは大きく違いました。
才気あふれる若者がみな、俺はなんにでもなれる、と思っている時代。まぶしいです。
読者がこの作品を愛してやまない理由の一つがこれでしょう。
この時代の空気を、司馬さんはあとがきに、こう書いています。
社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。(中略)
政府も小世帯であり、ここに登場する陸海軍もうそのように小さい。その町工場のように小さい国家の中で、部分々々の義務と権能を持たされたスタッフたちは世帯が小さいがために思う存分にはたらき、そのチームをつよくするというただひとつの目的にむかってすすみ、その目的をうたがうことすら知らなかった。この時代のあかるさは、こういう楽天主義(オプティミズム)からきているのであろう。
そして、そんな「近代日本の創業の時代」を生きる子規と真之が、どうやって身を立てようか?と悩むくだりが、とても好きです。
モラトリアム青年の子規と、学費免除の学校にしか行けなかった秋山真之
1巻の中盤、10代後半の正岡子規は、「東京が俺を呼んでいる!」とばかりに東京へのあこがれを募らせ、松山中学を中退します。そして、全国から秀才があつまる東京大学の予備機関・大学予備門に入ります。
子規の親友・秋山真之も、後を追うようにして大学予備門へ。
子規は実家に若干のたくわえがあり、しかも旧藩主の久松家が運営する奨学機関「常磐会」から学費の給付を受けていました。お金持ちではないのですが、ちょっと能天気なボンボンの気があります。
子規は「俺は太政大臣になる」といって上京してきましたが、予備門では哲学にかぶれ、それに飽きると文芸にかぶれ…「大学では国文学をやろうかな~」などといいながらのんきに過ごしています。今もいそうな「モラトリアム青年」ぶりなのです。
うまれたからには日本一になりたい(でも、東大に行く金がない)
真之は子規の影響でいっとき、「俺たち、一緒に文芸の世界で生きよう!」と誓ったりしますが、予備門から東京大学に進むためのお金がありませんでした。
真之は、すでに陸軍で任官していた9歳上の兄・好古の援助で予備門に通っていましたが、陸軍はなにぶん薄給。「金がないから大学には行けない」とは親友の子規に言えないまま、こんな会話を交わします。
真之「いや、な。つまり、このまま大学へ行って学士になっても、たいしたことはないということさ」
子規「何を言い出したのだ」
真之「おれはな」「升さん(のぼさん、子規のこと)とおなじで、生まれたからには日本一になりたい」
子規「だれでもだ」
真之「年々学士が増えてくる」
子規「そりゃ増えるだろう」
真之「学士なんざ、めずらしがられているころでこそ、工科の学士は卒業早々に鉄橋を架けたり、医科の学士はすぐさま病院長になったりしたが、これからはそうはいかぬ」
(中略)
子規「われわれは遅く生まれすぎたのだ」「しかし、かれら先人のやらぬ分野がまだあるはずだがな。それが学問でなかっても」
海軍が、それに近いな…真之は内心、そう思いながらも、ついに子規には言い出せないまま。
当時、師範学校、陸軍士官学校、海軍兵学校は学費無料でした。しかも生活費付き。
兄の好古に対しても、お金の心配のことは持ち出さず、「自分は学業には向いていないと思う」という言い方で身の振り方を相談し、最終的に、「海軍兵学校に入って、海兵になる」ことを決意します。
気ままな青春時代と子規に別れを告げる真之の置き手紙
なにせ秋山家にはお金がありませんでした。兄の好古も「どうやって身を立てるか」ということだけを考え、師範学校を出て教師になり、次いで先輩の勧めで陸軍士官学校を出て、陸軍将校の卵になった、という経歴の持ち主です。
真之は、学友たちには誰にも告げずに大学予備門の退学手続きと海軍兵学校の入校手続きを済ませます。
子規には、自分の「転向」について、置き手紙で知らせました。その手紙が泣かせます。
予は都合あり、予備門を退学せり。志を変じ、いまより海上へ去る上はふたたび兄と相会うことなかるべし。自愛を祈る。
気ままで、ヒマで、調子に乗り放題だった学生時代に自ら区切りをつけ、「一緒に文芸の世界で生きよう」と誓い合った親友に別れを告げる「青春の終焉」の置き手紙です。
真之は、この手紙を泣きながら書いたに違いありません。
子規が小説ではなく俳句・短歌を選んだ理由→
友の輪の中にいることが大好きだったから
真之が海軍兵学校に入ったあと、大学予備門に残った子規は自由な学生生活をつづけたかというと…そうではありません。結核を発症し、いっとき、療養のため故郷の松山に戻ります。時に明治22年。子規は23歳です。
そんなある日、中学時代の同級生2人、自宅療養中の子規を見舞に来ます。
2人は東京専門学校(のちの早稲田大学)の学生で、松山に帰省中でした。
当時の東京専門学校には坪内逍遥がいて、文学青年のあこがれの的。子規はさっそく文学論議をふっかけますが、あいにく2人は文学に興味なし。
せっかく来てくれた旧友と一緒に楽しめることはないかな…と持ち前のサービス精神が頭をもたげた子規は、ふと
「ベースボールを知っとるかねや」
と持ち掛け、3人で野球をしに行こう、と持ち掛けます。
病身をおして、お城の北の練兵場へと繰り出し、野球に興じる3人。
友達とつるむのが好きで、提案好きで、仲間を楽しませずにはおれない、そんな子規の「人好き」がわかるエピソードです。
司馬さんは、子規のこの「人好き」が、かれを小説ではなく俳句・短歌にむかわせたとみています。
人間は、友人がなくても十分生きてゆけるかもしれない。しかし子規という人間はせつないくらいにその派ではなかった。(中略)
ついでながらこの子規の癖(もはや思想とまでいいきってもよさそうだが)は、かれがそのみじかい生涯の仕事として選んだ日本の短詩型(俳句・短歌)の復興ということとじかにつながっている。
子規は小説という、この独りだけの仕事をわずかに試みたもののやがてやめてしまい、水が流れるような自然さで右の世界に入ったのは、才能よりも多分に性格的なものであった。俳句の連座を想像すればわかるであろう。宗匠役の者がその運座のお膳だてをし、題を出し、ふんいきをもりあげ、やがて選をし、互いに論評をしあって歓談する。そういう同気相集うたサロンのなかからできあがってゆく文芸であり、この形式ほど式の性格や才質にぴったり適ったものはない。
小説は一人で書くもの。それに対して俳句や短歌は、みんなでワイワイ集まって作り、人に聞かせ、論評し合う「サロン文学」。人の輪の中にいることを愛した子規が俳句・短歌を選んだのは、ごく自然なことだった、と司馬さんは指摘しています。
文学であれ音楽であれ「作品は世に出た瞬間から、作者の手を離れる」とよくいいます。
でも子規の句はきっと、子規という人物の人柄から離れることなく楽しむべきものなのでしょう。
政治家の「であります」弁の元凶は、山県有朋?説
明治22年、真之の兄・秋山好古はパリに留学していました。
日本陸軍はドイツ式に完全移行していたため、フランス行きははっきりいってハズレくじ。
旧藩主・久松家の跡継ぎがフランスに遊学するというので、好古が陸軍を休職してついていくことになった…という涙のフランス行きでした。
そんなとき、陸軍の総帥・山県有朋がフランス視察に訪れます。
好古が山県のもとにあいさつに訪れるとき、こんな場面があります。
「君は、たれかね」
好古は不動の姿勢をとった。
「陸軍騎兵大尉秋山好古であります」
ありますという軍隊用の敬語は、ふつうの日本語にはないが、長州弁にだけはそれがあって、山県が正式の軍隊語としてそれを採用したと好古は聞いている。
山県はこの時期、陸軍卿、参謀本部長、内務大臣などを歴任しています。日本を陰で操っている「法王」とも呼ばれた男です。
ナゾの日本語「であります」は、どうやら山県が陸軍に広めたらしい…ということが書かれています。山県は軍も政も官も支配していましたから、山県の影響で、軍人だけでなく政治家も「であります」弁を連発するようになったのかもしれません。
司馬遼太郎さん「坂の上の雲」第1巻
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NHKドラマ「坂の上の雲」は2009年から足掛け3年にわたって放送された超大作。
秋山好古役は阿部寛、秋山真之役は本木雅弘、正岡子規役は香川照之です。
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