作者は林明子さん、1989年刊のロングセラー絵本
絵本の読み聞かせは子どもとの大切な時間。
どんな本を選べばいいか、迷った経験がある方も多いと思います。
これまで子供と一緒に読んだ絵本の中で、思わずじーんときたり、心が温かくなったりした作品を紹介していきたいと思います。
今回は、林明子さんの絵本「こんとあき」。1989年に刊行されたロングセラーです。
この本、読むたびにちょっと切ない気持ちになるのはなぜだろう…とずっと引っかかっていました。
そのあたりを考察しながら、内容をご紹介していきます。
「こんとあき」の内容は?あらすじを簡単に
主人公「あき」は、5歳くらいの女の子
主人公のあきは、5歳くらいの女の子です。生まれたときから、きつねのぬいぐるみ「こん」に見守られて育ってきました。こんはただの「お気に入りのぬいぐるみ」ではありません。
「こん」は命を吹き込まれたきつねのぬいぐるみ
くまのプーさんのようにしゃべるし動く
「こん」の生みの親は、砂丘町に住むあきのおばあちゃんです。
あきが生まれる前、手縫いのぬいぐるみ「こん」をあきの元に届けました。こんは命を吹き込まれていて、おしゃべりもするし、歩くこともできます。くまのプーさんみたいな感じです。
遊び相手であり、お兄ちゃんであり、保護者
こんはあきが赤ちゃんのころからずっと、遊び相手を務めていました。よだれを垂らされたり、振り回されたりしながらも、こんはあきの成長にずっと付き添ってきました。あきのお兄ちゃんでもあり、保護者代わりでもある——そんな存在です。
砂丘町のおばあちゃんの元へ2人旅

旅の目的は「ほつれた腕を繕ってもらう」こと
あきが成長するにつれ、こんはだんだん古びてきました。
ある日、腕の縫い目がほつれてしまったこん。
「ちょっと砂丘町にいって、おばあちゃんに縫ってもらってくる」と家を出ようとします。
あきは「わたしもつれてって」とせがみ、こんとあきは2人で特急に乗り、砂丘町に向かいます。
こんの口ぐせは「だいじょうぶ」

こんはあきのために、特急の切符を買い、指定席の番号を確かめてあきを座らせます。
こんの口ぐせは「だいじょうぶ」。
あきが不安を口にするたびに、「だいじょうぶだよ、あきちゃん」といってかいがいしく世話を焼きます。
あきが「ずっとこの電車に乗っていて、おなかがすいたらどうする?」といえば、
こんは「だいじょうぶだよ。この先の駅でおいしいお弁当を売っているからね」と応じます。
特急が5分停車している間に、こんはひとり、ホームに降りて駅弁を買いに走ります。体は小さいですが、そのふるまいは大人顔負け。
特急のドアにしっぽを挟まれても「だいじょうぶ」
しかし弁当屋さんの行列が長く、車内に戻るのが発車ギリギリになってしまったこん。
閉じたドアにしっぽを挟まれ、弁当を2個抱えたまま身動きが取れなくなります。
心配したあきが様子を見に来た時も「だいじょうぶ。おべんとう、まだあったかいよ」と、あきを不安にさせまいと気丈に振る舞います。
こんはドアにしっぽを挟まれ身動きがとれないので、2人は車両の連結部分でお弁当を広げて食べます。
2人が食べたのはプリン付きの「あげどん弁当」

(出典:福音館書店Facebookページ)
このお弁当、デザートにプリンがついていて、とっても美味しそうです。
ちなみにこれ、「あげどん弁当」というメニューだそう。福音館書店の「こんとあき」特設サイトにレシピが載っています。
「砂丘が見たい」あきのリクエストがピンチを招く

特急を下りたあきは、おばあちゃん家に行く前に「砂丘が見たい」とこんにせがみます。
砂丘はおばあちゃんの家とは逆方向。
こんは「砂にちょっと足あとをつけるだけなら」と、あきのリクエストに応えます。このあたりも、子どものわがままに「仕方ないな…」と思いつつ付き合う保護者のようです。
こん、砂丘で野犬にさらわれる
砂丘で2人は黒い野犬に出くわします。こんは「だいじょうぶだよ」とあきに声をかけ、野犬の前に立ちはだかります。中身は大人でも、体は小さいこん。野犬に「ぱく!」とくわえられ、そのままさらわれてしまいます。
これまで、こんに頼りっぱなしだったあき。突然、1人になります。
こんを助け出すため、野犬の足跡を追います。
生き埋めにされ、半死半生に
やがて、砂の中に生き埋めにされていたこんを見つけ、掘り出します。
しかしこんは半死半生。
「こん、だいじょうぶ?」
「おばあちゃんの家はどこ?」
あきが何を問いかけても、蚊の鳴くような声で
「だいじょうぶ、だいじょうぶ…」と繰り返すばかりです。
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あきの自立と成長の瞬間!こんを追い抜いて大人に

あきが初めて、自分の意志と判断で動く
ここであきが覚醒します。自分をずっと守ってくれたこんが傷つき、弱ってしまった。
いま、頼りにできるのは自分だけ。
いま、こんを守れるのは自分だけ。
いままでのあきは、こんに「おんぶにだっこ」でした。
こんに電車の切符を買ってもらい、お弁当を買ってもらい、砂丘まで案内してもらい…。
こんがいなければ何もできない幼児でした。
こんに守られていたあきの自立の瞬間!
そのこんが旅の途中で倒れたとき、あきは初めて、自分の頭で考え、次にとるべき行動を自分で判断することを迫られます。こんの庇護下にあったあきが、自立した瞬間です。
そして、あきの頭は冴えわたっています。
まず、こんを連れて駅まで戻る。砂丘とは反対側にあるおばあちゃんの家を探す。
来た道を戻り、住宅が多いエリアに当たりをつけておばあちゃんの家を探します。
こんとあきの立場が逆転
こんを背負って砂丘から駅へと引き返すとき、あきとこんの立場は完全に逆転しています。
あきがこんを守る立場で、こんはあきに守られる側。
こんは、あきが生まれてからずっと、あきの「お兄ちゃん」でしたが、ついにこの時、あきがこんよりも大人になった。そんな瞬間です。
「こんとあき」は怖い…という感想からの考察

怖い理由「お母さんもお父さんも登場しないから」
「こんとあき」を読んだ子どもがときどき、「怖い」という感想を持つことがあるそうです。
その理由は、
「こんとあきが、子どもだけで旅に出ちゃうから」
「あきのお母さんもお父さんも出てこないから」
というものだそう。
これ、鋭い指摘だと思います。
考察|両親が出てこないのは、こんが親の象徴だから
林明子さんは意図的に、あきの親を作品に登場させなかったのだと思います。
なぜなら、この物語ではこんが「親の象徴」だからです。
ちいさなきつねの姿をしているから、ドアにしっぽを挟まれたり、野犬からあきを守れなかったりしますが、砂丘町への旅の間、あきの面倒を見るこんの姿は「親そのもの」です。
こんは「イマジナリーフレンド」?
こんは何者なのか?という点については、ほかにもいろんな考察があるみたいです。
たとえば、こんは「イマジナリーフレンド」ではないか、という説。
イマジナリーフレンドとは、子どもの空想が生み出した「本人にしか見えない友だち」。
つまり、こんは、あきにしか見えていない「実在しない友だち」なのでは?という考察ですね。
「こんとあき」で作者が伝えたいことは?
親の手を離れて成長していく子どものたくましさ(だから泣けるのです)
こんが「親の象徴」だとすれば、「こんとあき」は、子どもが親を超えて成長していく物語です。
作者の林明子さんがこの絵本に託したメッセージは、成長する子どものたくましさ、自立して成長していく過程のキラキラしたまぶしさではないでしょうか。
でも、成長し、自立するということは、親の手を離れるということ。
だから、「親の象徴」であるこんの庇護を失ったピンチの場面で、あきが自立する姿が、頼もしく、かつ切ないのです。
でもこれは、あくまで親の立場での感想。お子さんは、まったく違う印象や感想を持つはずです。
「こんとあき」は何歳から読める?

読み聞かせなら1歳、2歳、3歳でもOKだと思います
「こんとあき」には、「読み聞かせは4歳から、自分で読むなら小学校初級向き」との表記が付されています。でも、読み聞かせなら1歳、2歳、3歳でもOKだと思います。
絵のタッチが優しく、またカラフルなので、ちいさな子でも楽します。



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